献金について(その20)

-献金ではなく献身-

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■ 献金について(その20) -献金ではなく献身-

イエスは賽銭箱に向かって座り、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちは沢山の金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しい寡婦が来て、レプタ二つを入れた。それは1コドランドに当たる(ローマの最少額の銅貨)。 そこでイエスは弟子達を呼び入れて言われた。「よく聞きなさい。あの貧しい寡婦は、賽銭箱に投げ入れている人達の中で、誰よりも沢山入れたのだ。みんなの者は、有り余る中から投げ入れたが、あの婦人は乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである(マルコによる福音書 12:41~44)。

また、悪霊を追い出され、病気を癒された数名の婦人達、すなわち7つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれたマリヤ、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、その他の多くの婦人達も一緒に居て、自分達の持ち物を持ってイエスの一行に奉仕した(ルカによる福音書 8:1~3)。

マケドニヤの人達は、悪霊のため激しい試練を受けたが、その満ち溢れる喜びは極度の貧しさにもかかわらず、溢れ出て惜しみなく施す富となった。彼らは力以上に施しをした。・・・ 彼らは自分自身を、先ず神の御心に従って主に捧げ、また私達にも捧げたのである(Ⅱコリントへの手紙 8:1~5)。