K兄の土地の献品の申し出は3度も断ったのに執拗に続き,最後は半紙に「責任は自分がとるから植竹牧師に使って欲しい」という念書まで書いて手渡された。用務員会もこれには負けて,ついに頂くことにした。以来K兄は「自分が献げた,献げた」と一言も言ったことがない。夫人も同じ。それで,この教会は,よく献げる人ほど威張らない,自分のした献金や奉仕は黙ってするという素晴らしい体質ができていった。
私は深い感謝と牧会上の配慮から,よく奉仕した人のことを発表することはあるが,それでも,あまり言わない教会の最たるものだと思う。複数の会計さんは几帳面に,全ての献金を個人別に全部コンピュータに入れているが,私は誰がいくら献金しているか知らない。