教会がある程度成長してきたころのことである。一人の音楽家が入信した。彼はすくなくとも初期のころ,音楽のために音楽を愛し,音楽を生活の手段とせずに,音楽の世界に没頭していた。そのために仕事も家庭もすてて教会に住んだ。やがて聖歌隊をつくり,厳しい訓練をしてくれた。夜の12時がすぎてもやめなかった。パトカーが来たこともあった。娘達はきたえて頂いた。
しかし,私は,彼の音楽に対する純粋性から,いつとはなしに,自分が教会を成長させなければならないという気持ちに負けて,牧師でなく牧師屋,宗教家でなくて宗教屋になりやすい傾向性に陥っていることに気がついた。それに気がついて身ぶるいし,反省させられた。