教会を分裂に至らせた原因は多くあったと思うが,なんと言っても,「柴ノ木学舎」を建てて献身者を養成したいという発想が,先に述べた音楽家の兄からの発想であり,それを或る夜,説得されて教会の事業にしてくれという要請に負けて承認してしまったことにある。事実,そこには献身した若い人達が大勢いた。彼らを養い育てる力は私にないが放任はできない。深く神のみこころを確認することなく了承した。了承した以上は責任はある。
それは山の奥に祈祷院を建て,鮎の稚魚をつくり,聖書と自然を通して神を学ぶというものだった。事柄自体は善い事だった。のちに問題が生じてきた。