献金について(その9)

-献金の概念が変わる-

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献金について(その9) -献金の概念が変わる-

「柴の木学舎」に関しては,いま書くべきでないと思うので割愛するが,本当によく協力して下さった当時の教会員には,どんなに感謝してもしきれない。深い感謝を申し上げずにはおられない。感謝します。

そして私自身,多くを教えられた。とくに,事業ということをしたことのない私に,事業の苦労を教えてくれた。そして「献金」の概念も変わった。「十分の一」どころか,収入の十分の二十もささげなくてはならない。それでなければやっていけない。それで市場へ働きに出た。

やがて夜逃げ同然,敵前逃亡と言われたが,学舎の前の渓流を渡った山の中に祈り場をつくり,枯れ木の梢に冬の空を眺める頃から,若葉,青葉,紅葉が散るまで,毎日,お詫びしては信じ,信じてはみこころを確かめ,責任の取り方,退任の仕方を瞑想した。それで主の導きを確信して,まだ枯れ葉の少し残る雑木林に別れを告げた。敵前逃亡,戦場離脱は思いつきではなかった。

大変失礼な言葉だが,牧会の重荷からのがれた生活は夢のようだった。二人で働いているのだから,面白いほど献金もでき,古い喫茶店の2階の礼拝も,前任教会員以外の方で結構にぎわってくる。愚かにも私は,この程度の伝道で,奉仕で,十年はやっていこうと考えていた。

献金で生活しないでいい,ということは,正直言って最高の平安,安堵,喜びでさえあった。真冬の市場の寒気が,一度も行ったことのないスキー場に似て楽しかった。