第5講 人生勝利の秘訣

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■ 第5講 人生勝利の秘訣 音声
■ 第5講 人生勝利の秘訣
[聖書箇所]
Ⅰヨハネの手紙 5:1~5

† すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生まれた者である。すべてうんで下さったかたを愛する者は、そのかたから生まれた者をも愛するのである。神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生まれた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。

[植竹利侑牧師]

こんばんは。皆様よくお出でくださいました。長い間待ち望んでおりましたし、また、大勢の教会の方が心を込めてご協力くださいました5日間の特別講演会も、今晩でいよいよ最後になりました。教会員でない新しい方が、この度は毎晩100名近くもお出でくださって本当に感謝でした。私も思いきり神様のことをお話でき深い感激の中にいます。私どもは広島キリスト教会として新しく開拓伝道を始め、昨日が満10年の記念日だったのでございます。

以前書いた文章を紹介させていただきます。「ある人が老人の心理と生理を次のように言った。皺がよる。ほくろができる。腰曲がる。頭はぼける。ひげ白くなる。手は震える。足はよろつく。歯は抜ける。耳は聞こえず目も疎くなる。身に装はずきん、襟巻き、杖、めがね。湯たんぽ、懐炉、溲瓶、孫の手。」ろくな物がついていませんが本当にそうですね。私も義父と暮らしたことがありましたが、本当に歳をとると色々な問題性が出てくるものだと思います。続けて「聞きたがる。死にとうながる。寂しがる。心の曲がる。欲深くなる。くどくなる。気短になる。愚痴になる。出しゃばりたがる。世話やきたがる。またしても同じ話に子を褒める。達者自慢に人は嫌がる。」と、こう言われています。自分はまだ若いから大丈夫と思っても、段々と思いあたることが出てきますね。私が若かりし頃、徳島へ伝道に行き、あるお婆さんから同じ思い出話を四度もくり返して聞かされたことがあります。私も歳を重ね、あのお婆さんと同じようにお話がくどくなっているかも知れないと、いささか忸怩たるものがございます。今夜は少し真面目な話をしたいと思っておりますが、私自身のことも思い返して証しをさせていただこうと考えております。

私がキリスト教にふれた一番最初の出会いは、小学校4年生の頃でした。はっきりとはしませんが、兄もまだ小学生だった記憶があります。その頃、本もあまり買ってもらえなかったのですが、家に背中に革の貼ってある立派な本があったのです。それは講談社が発行した『世界聖人偉傑物語』という本で、世界中の100人の偉人たちの話が出ていました。現在は本は山ほどあり珍しくありませんが、本の乏しい当時はその本が貴重で、家族みんなで大事に読んだ覚えがあります。私も小学校の4年生頃にその本を読みました。新井白石、野口英世、ワシントンなどのお話がいっぱい入っていたわけです。最後に世界3聖人のお話がありました。イエス・キリストのお方のことが一番最後に書かれていました。僅か5ページくらいにイエス・キリストのお話があったのです。それが私のイエス・キリストとの最初の出会いでした。

その本について他は忘れましたが、一つだけ私の心に強烈な記憶が残りました。それはイエス・キリストが神の子としてこの世に生まれ、人としてこの世に生き、そして本当に全ての人を愛し、どんな罪人をも赦し、愛し、最後はあまりに高潔な生涯を送ったために当時の宗教家たちの妬みと憎しみをかい、十字架につけられた、と簡潔に書いてあったことです。イエス・キリストが十字架の上で、父よ、彼らをお赦しください!とお叫びになったと書いてありました。私も随分悪戯小僧で茶目っ気も多くて劣等感も強く、決して特別な子供ではなかったのですが、100人の話を読んで、妙にそのイエス様が自分を十字架につけた人のために、父よ、彼らをお赦しくださいと祈ったという、その事がピッと心の中に入ったのです。そして、この方はただの人ではないと思いました。他の人の真似は意識すればできるかも知れないが、このイエス・キリスト様の十字架上の言葉だけは、これは絶対に真似ではできないものだ、ということが心の中にピッと入ってきたのです。家族や親戚に誰一人クリスチャンはいませんでした。

東京下町の小学校の傍に日曜学校がありました。ある日、友達から日曜学校のことを聞きましたが、そこでは聖書の勉強をするとのことで、日曜日まで勉強とはかなわんと思い、行くことはしませんでした。そこで私の教会やキリスト教との縁は全く切れてしまいました。昔は紙芝居が盛んでよく見に行きましたが、一人あまり上手ではない紙芝居屋さんがいたんです。子供にはあまり人気がありませんでしたが、胸に十字架をつけていたのを覚えています。その時は耶蘇って紙芝居が下手なんだなというくらいで、あまりキリスト教やその人に対して良い印象は持てませんでした。それがキリスト教に対する第二の思い出でした。そのうち太平洋戦争が始まり、キリスト教は全く敵の宗教だと思っていました。終戦となり、皆が恐れていた進駐軍が入って来ました。ところが、米兵の自由さ明るさ優しさにふれて驚いたわけです。子供にも実に優しかった。当時、中学2年生でした。戦後何百万人もが餓死すると言われていましたが、敵国であった我々に豊富な物資の援助をもたらし、そうして私たちは生き延びてきました。こういった事情で、私はキリスト教に対して少し関心を持ち始めていました。

その頃、友達に教会へ誘われました。疎開先の田舎でのことです。その時は自分も行きたいと思ったのです。昭和22年2月9日夜、満十五歳でしたが初めて教会に行きました。普通の民家でしたがオルガンによる讃美歌が聞こえてきました。私はビックリして入りたいけど勇気が出ず、教会の周りを3周してもまだ躊躇していました。その時、Mさんという小学生が入るのに乗じ、ようやく中に入ることができたのです。その人が妙齢のご婦人であったなら恥ずかしくて入れなかったかも知れません。でも、そうやってようやくの思いで入ったのに、牧師さんの説教は全然記憶にありません。牧師さんの奥さんは60過ぎの人でしたが、本当ににこやかに歓迎してくださり一冊の本をいただきました。そこには神様のこと、人間の罪のこと、イエス・キリストの十字架の救いの話が手際よくまとめて書いてありました。

私はその本を読んで、本当に心底驚きました。今まで聞いたこともない内容でした。それまで抱いていた井戸神様などのイメージとは全然違っていたのです。山の神とか、それこそ何でも神様として拝んできていたし、更には天皇が神だとされてきたのにすっかり失望していた時でしたから、その本を読み、天地万有を造られた神がおいでになる、全人類の創造者、創り主であるお方がおられるということを知り、こういう考え方もあるのかと目が開かれるような思いでした。そして、人間には罪があると書かれており、そういう意味でなら私にも罪があると納得したのです。それまでは自分は正しい正しいと・・・と思ってきたのです。私も結構悪いことをしてきましたが、それでも他人よりは正しい、他人よりは真面目だと思っていたのです。人からも自分が真面目だと言われるのが嬉しくて、表面的には本当に良い子をしていたのですが、私の心の中には様々の妬みとか、憎しみとか、嘘偽り、性的な欲望とか色々なものが渦巻いていたのです。教会に行ったのも、本当のことを言うと教会の女子学生などに興味があったのです。しかし、その本を読んでいるうちに本当に心がとらえられました。そしてイエス・キリストの十字架の救いのことが書いてあり、本当に教会に行く気になりました。

当時旧制中学におりましたが、校庭の築山の陰でむさぼるようにその本を読みました。読み終わったその足で、真っ直ぐ教会に行き、2月13日午後4時頃でしたが、66歳の牧師さんに私はこの本に書いてあることを全部信じますと言いました。牧師が私の頭に手を置かれ祈ってくださいました。そして私も初めて祈ったのです。夕方で真冬でしたから辺りは暗く寒かった。それなのに、どうしたのか私の心は熱くなり温かくなってですね、それまでの身構えた生き方から、私の心はスパーと抜けたような気分を味わいました。本当に一つも世界は変わっていないのに、世界が変わったような気持ちになり、私は本当に赦されたのだということが分かったのです。教会へ2度行っただけで、私は神様の子供になったのだということが分かり変わってしまったのです。変えられてしまったのです。本当に驚きましたね。

それから牧師さんから聖書をもらい読み始めました。その後には聖書が大量にアメリカから入ってきましたが、当時は貴重なものでした。もらった黒革の小型聖書を頬ずりをするようにして一生懸命読みました。そしてマタイ福音書の第5章43節にきたのです。

「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

その時、私は旧制中学5年生になったばかりの4月でした。学校でも随分苛めがありましたし、様々のひどい体罰も平気で行われていた頃でした。私は小さい方ですから、いつも苛めの対象になっていました。そのくせ格好をつけたくて仕方がありませんでしたが、制裁を恐れてできず真面目な顔をしていたわけです。でも、心の中には本当に妬みや憎しみに満ち、人目のない所での悪戯でやり場のない気持ちを誤魔化していたのです。絶えず鬱々とした気持ちでいました。兄弟に対しても激しい妬みや憎しみを抱いていましたが、それでも良い子を演じるため、いつもいつも心に葛藤があったのですね。そういうものから絶えず私は解放されませんでした。ところが、先程の聖書箇所を読んだのです。

敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

初めて読んだ聖書体験ですが、これを読んだ時の驚きを今でも忘れません。隣り人を愛し敵を憎め、とはつい最近まで「トントントンカラリンの隣組」と言いまして、隣とは仲良くして敵は憎むんだ! 鬼畜米英! 欲しがりません勝つまでは! 一億火の玉! と、敵を憎むことは一生懸命教えられてきたわけです。しかし米兵を間近に見るようになって、どうもその感触に違和感を覚えました。米兵は悪魔か鬼かと思っていたのに、実際の印象は異なり、マッカーサーのステートメントにも必ず聖書の言葉が引用されていました。文字通り敵を愛し迫害する者のために祈れといった聖句が出ていたのです。私は彼我の文化、宗教の違いを強く感じ驚くばかりでした。そして私は、ますます聖書をむさぼるように読み、この箇所で引っかかってしまったのです。

マタイ福音書の第5章38節をご覧ください。

「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

この箇所には参ったですね。私は子供の頃から癇癪持ちで、腹が立ったらギャーッとやらないと済まなかったのです。一軒隣りに鍛冶屋の子供でTさんというガキ大将がおり、私はいつも苛められていましたが、ある時、彼の不意をついて、後ろから丸太か何かで力いっぱい打ちすえて家に逃げ帰ったことがありました。小学校2・3年生の時です。そうすると彼はギャーと泣きわめいて自宅に帰ったのですが、お父さんから倍返しをしろと説教されているのが聞こえてくるのです。私は小さくなって震えていましたが、焼き芋を土産に母と謝りに行き事なきを得ました。とにかく私は、一つ殴られたら三つぶん殴れという言葉が今でも耳にこびりついています。目には目を、歯には歯をです。戦争中を経験していますから勝つこと、戦うことばかり考えていたのです。それが人生勝利の秘訣だと思っていたのです。強くなること、戦うこと、それが人生だと思っていました。

ところがこの聖書を読んで、そうじゃあないですね。

もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

安い下着より大事な上着をも差し出すこと、頬を打たれたら、もっと強く殴って下さいと言いなさいということなのです。そういうことです。

もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。

私はこれを読み正直、大変な衝撃を受けました。かつて一度も聞いたことがなかったからです。考えたこともない世界だったからです。それまで、同族、兄弟、仲間だけに挨拶をすること、こんなことは異邦人でもする。取税人でもする。返してもらうことを前提に人にお金を貸す。そんなことは高利貸しでもする。本当に人にあげなさい。一番大事な物をあげなさい。それは何でしょうか? 「命」です。主は私たちのために命を捨てて下さった。それによって愛ということが分かったとヨハネは言っていますが、そういう話を聞いた時、私は正直強い衝撃を受けました。

やがてクリスチャンになるため洗礼を受けることになりました。それは初めて教会を訪れた同じ年の4月13日、イースターの時でした。大して内面の変化は感じていませんでしたが、それでもうきうきと嬉しかったのは確かです。洗礼は利根川で、他の十数人と一緒に受けました。昭和22年は戦後も少し落ち着きを取りもどした頃で、帰路の唐沢土手では大勢の浮かれた花見の人出に出会いました。牧師先生が、今日はこれから花見で賑わっている広場で路傍伝道をすると言うのですね。林檎箱の上に立ち先生は伝道を始めました。私はどういうわけか、嬉しくて嬉しくて説教をしたのです。ところが私は十六歳の若者でした。説教などできるわけがありません。たちまち話の辻褄が合わなくなり大恥をかきました。翌日は、今度は証しをしようと、自分がどんなに醜い人間で、表面は立派そうでも心の中では如何に醜いかということを話したのです。カンニングのことなども告白したのです。そうすると同じ学校の生徒が何人も聞いているのです。200人くらいの人が聞いていたと思います。

翌日、私は学校のはずれにある防空壕に呼び込まれました。戦地帰りの上級生も含めて十数人の生徒に取り巻かれたのです。敵国アメリカの宗教を信じやがって、この野郎! 生意気な奴だ! と思い切り殴られましたね。メチャメチャに殴られたのです。ところが驚くべきことに、いくら殴られても痛くないんです。そのうち私は意識を失いました。そして気がついた途端に、心の中から、あの懐かしい言葉、本当に私が小学校3年生頃聞いた、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです。」という言葉が、まるで泉のように湧いてくるのです。そこに跪いて、本当にそういう祈りができてしまったのです。涙がぼろぼろ溢れてしかたがありませんでした。私がしたのではないのです。私自身にはそんな愛は絶対にありません。それなのに、私の心の中からは祈りが溢れ、感動の涙が止まりませんでした。伝道してぶん殴られても、こんなに喜びが溢れてくるのなら私は伝道者になろうと、その時に思いましたね。恐らく、殴られていなかったら伝道者にはなっていないと思います。

この出来事からは、もう嬉しくて嬉しくて堪らなかったのですが、人には恥ずかしくて話せませんでした。血だらけ傷だらけの顔をしていましたが、心は嬉しくて堪りませんでした。その時、私はキリスト教とは理屈ではなくて、本当に神様がおられる、神様は本当にエゴで醜いかたまりのような私を愛して下さっているのだ、変えて下さるのだということを知ったのです。これは自分の力では絶対に不可能です。私の本質はそんなに綺麗で立派なものではありません。醜いものです。中国新聞に最初に書いた文章を紹介します。

「私は終戦後間もなく、十六歳の時にイエス・キリストに出会った。それは言葉にも筆にも表せない感動であり、人生の大変革であり革命であった。人生観が変わり価値観が変わり、ありとあらゆるものが変わった。人生の意味と目的が分かり、自己存在の根源が分かって、喜びがわき上がり、愛が心に溢れた。しかしある日、あまり好きになれなかった一人の友人Tを牧師が褒めるのを聞いた時、嫉妬の炎が燃え上がるのを感じて愕然とした。神の救いを信じていても、自己の本質が変わっていないことが分かったからだ。」

私はずんぐりむっくりの豆タンクみたいでしたが、その人は背が高く、メガネなど気障にかけており、長髪でね。私はいい格好に憧れましたが、そうすると決闘を申し込まれ気絶したこともあります。今から考えれば私も若気のいたりと言うのでしょうか、随分馬鹿なことに憧れてしていました。でもね、イエス・キリストに出会った時に、本当に変えられたのです。しかし、全部が変わったと思っていたのに、私の知らない難しい哲学書などを読みながら、奉仕もせずにいる気障なT青年を牧師が褒めるのを聞いたのです。牧師の目は節穴かと牧師に対しても激しい憤りを感じたのです。私自身は百編も褒められているのに、一回彼が褒められるのを耳にして、私の心の中に激しい妬みの気持ちが沸き起こってきたのです。

ところが教会で話を聞いているうちに、その自分の妬みと裁いていることにハッと気がついたのです。教会とは良い所ですね。教会に来ると、自分の力だけでは絶対に考えつかないような事にサッと気がつくんです。不思議なことですが、牧師の話には聖霊が働きますから、どんな人にも家庭にも当てはまるような内容となります。その時の私は正にそうでした。ハッと気がついた。

「その時から、深刻な自我との戦いが始まった。よく考えてみれば、妬みばかりか憎しみもあり、悪意さえ抱く。金も欲しい。恋人も欲しい。人には良く思われたい。身も飾りたい。人並みの欲望はみんなあるのに気がついた。そこで、何とか清くなりたいと身を粉にして奉仕もし伝道もした。神学校へ行ったら自我を殺すことができるかと思い、家出までして神学校へ行った。しかし、苦行や努力では自我は死ななかった。自我との戦いに疲れ果てて、泣いて叫んで一週間たった十七歳の秋の日のこと、私は死んだという鮮やかな経験をさせていただいた。それは『私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや私ではない。キリストが私のうちに生きておられるのである』という、あの使徒パウロの経験と同じものであったと信じている。以来三十四年、私は自我の問題で悩むことがなくなった。妬む、憎む、人を裁く、悪意を持つ、腹を立てる、不機嫌になるということがなくなった。そのため、人に軽く見られて馬鹿にされ、裏切られることも多いが、別に辛いとは思わない。むしろ、譲ったり損をしたり騙されたり馬鹿にされたりすることが好きになった。」 本当に私は馬鹿にされるのが好きです。軽く思われても少しも苦になりませんね。「怒ったり、やっつけたりするよりは、許したり愛したりする方がずっと楽になった。それどころか、いつでも失った以上の物が必ず返ってくる。神からも人からも返ってくる。だから今でも、私の生活・信条は変わらない。自分の命を得ようする者はそれを失い、かえって失おうとする者は必ず得る。死んだ者は生きる。」

もう一つ、以前書いた文章を紹介させていただきます。

「何でも物事は徹底しないとあとが悪い。徹底とはどん底にまで達し貫くことだ。底に達すれば足が立ち、そこからやり直すことができる。徹しなければ、いつまでももがき続け、ますます貧し鈍していく。私は5年前の11月、24年半も在職した教会の牧師であることを辞任した。自分の指導性の欠如から教会内に分裂が生じ、教勢は低迷し、全てがマンネリに陥った。明らかに責任は自分にあると思い3年前に辞任を申し出たが、教会員の大部分は自分が入信の導きをした人なので受け入れられず、以来辞任の機会を狙っていた。自己の半生をかけて育て上げた教会を壊してしまうということは最も避けねばならぬと思い、自分が一番惨めで無責任な形をとれば私に対する批判から、残された教会は必ず後任者のもとに団結し上手くいってくれるだろうと思って、最悪の出方をあれこれと考えた。ある時、チャンスが到来した。成人している子供たちが皆、私たち夫婦の考えに同調し、開拓伝道に踏み切ることに賛成してくれた。そこで私は家族に言った。失敗の責任は私にある。半生を捧げた教会を去るのは悲しいが、牧師は死んでも教会を殺してはいけない。最も惨めな姿で、悪い格好で去らねばならない。これから10年間は浮かばれないだろうが、神は必ず再び生かして下さる時がくる。だから、この教会の会員は一人も連れ出してはいけない。教会の物は靴の紐一本持ち出してはならない。そして聖書の一節を読んで共に祈った。無からの出発。ゼロからのスタート。まるで檻から放たれた子牛が飛び跳ねるように新しい出発をさせていただいた。だから神が祝されて、みるみる人々が集まって下さり、協力者が現れ、広島市南区の黄金山の中腹に広い土地も与えられ、大きな会堂も建った。子供たちも破格の恵みにあずかった。それは自分が優れているからではない。出来上がった教会にあぐらをかかず、捨て身で生きたからに他ならない。自分の子供にさえ譲ることができずに財産を争う人もいるが、私は何でも人に譲り、もっともっと祝福されたいと思っている。」

皆さん、本当に人生勝利の秘訣があるのです。人間は自分が許されなければ人を許すことはできません。自分が愛されなければ人を愛することはできないのです。人は愛された分量しか人を愛することができないのです。どんなに絞っても、どんなに自分の中を調べてみても、私には残念ながら、自分の中に善なるものは一つもないことが分かりました。「我が願う善はこれをなさず、願わざる悪、却ってこれをなす。ああ、私は何という惨めな人間なのだろう。この種のからだから私を救ってくれる者はいないのか。」とパウロが叫んでいます。私は本当に知れば知るほど、学べば学ほど、聖書が分かれば分かるほど、自分の無力さが分かりました。自分の偽善が分かりました。嘘と誤魔化しで塗り固めているような人間であるということが分かってきたのです。本当に一生懸命やりましたが、一生懸命やっていると、あの人は一つもやらないのに褒められている、牧師は何を考えているんだろうかという気持ちが直ぐ湧いてきたのです。私の本質は本当に醜いものでした。しかし、そのエゴのかたまりである私をムンズとひっ掴まえて、神は私を十字架に釘づけてくださったのです。そして、神様は私は死んだという経験をさせてくださいました。以来、負けて勝つということが本当にできるようになりました。

私の一番好きな言葉は「心を悩ますな」です。人がどんなに儲けていようと、良い思いをしていようとね、関係ないのです。詩篇の記者はそう言っていますが、本当にその様な人生の生き方をすることができるようになりました。十字架上の泥棒もみんな、聖書を見ると全部そうですね。イエス様は難行苦行したら救われるなどと言われない。どんな人に対しても、会った瞬間に、「安心しなさい。あなたの罪は赦された。」と、誰にでもみんなそう言ってらっしゃいます。会った瞬間にです。人生は出会いで決まる、とこの集会でも申し上げました。会った瞬間にイエス様は私たちを変えてくださいます。掴まえてくださる。そして神様の愛の中に巻き込んでくださるお方だということを、自分の経験を通して知りました。私はそういう風にしか語ることができません。私の経験した福音とは、そういう福音だからです。

「健やかな人は医者を必要としない。要るのは病人である。そのように、自分は元気だ健康だと思っている人、自分は正しいと思っている人に私は必要だ。しかし、自分は罪人だと気づいた人のために私は来たのだ。」とイエス様は言っておられます。罪ある者を招いて救うのが私の仕事だと言われているのです。罪とは赦してはいけないものです。許せるものは罪ではなく過ちと言います。イエス・キリストは本当に全ての人の罪を、出会い頭に全部赦された。永遠の命を与えていらっしゃるのです。そのために、赦してはいけない罪を赦したので、イエス様はご自身が十字架につけられたのです。十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。」と、本当に敵のために赦しを祈られたのです。私はイエス様を本物だと本当にそう思っています。

まだまだお話したいことはいっぱいありますが、私も本当にイエス様のあとをついて行きたいと思います。キリストは、神様は、ハッと気がついてみたら、生まれつきの自分には全くなかった愛や同情や許しや清さを私たちに与えてくださるお方です。私は自分で努力して何かを得たということは一度もないのです。全部あとから気がついて感謝することばかりです。この集会だって、私は説教しかしていません。全てスタッフや皆さんに支えられています。全部は神様がしてくださる。それが私の福音です。お祈りいたしましょう。

愛する天のお父様。五日間、本当に心を込めてご一緒に学ぶことができたことを感謝します。私たちは全く無力な弱い者です。何にもできません。少しやれば自分が自分がと言いたい、そういう愚かな者です。頭の天辺から足の先まで、私は本当にエゴのかたまりでした。いつでも自分が可哀相と自己弁護で、自己憐憫でびしょびしょに濡れていた男でした。しかし神様、あなたが分かった時、あなたを知った時、本当にそこから解放してくださったことを感謝します。朝から晩まで、一年三百六十五日、ストレスがあったことは一度もありません。いつでも感謝して、自分が持っている可能性を全部生かしていただいて今日まで生きてきました。私一人ではなくして、同じように本当に勝利の生涯を送っておられる方がこの教会にも大勢おられます。本当にありがとうございます。どうか私たちの生きざまが、本当に多くの人々にとって喜びとなることができるように祝福してください。どんな深い絶望や悲しみの中にある人をも生かすことができる力を私たちに与えてください。この教会を、どんな心の病も罪も癒す力のあるものとして、恵みを溢れさせてくださるようにお願い致します。この五日間の集会のために陰で払ってくださった多くの愛の労に、主が豊かにお報いくださるようにお願い致します。私たちの愛する主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。