復刻版『受難週のキリスト』

本書は絶版につき本サイトで復刻したものです。

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■ 復刻版 『受難週のキリスト』

復刻版

『受難週のキリスト』

植竹利侑著

(教会新報社 1981刊「福音入門シリーズ」)

本書は絶版につき本サイトで復刻したものです。

『受難週のキリスト』

■ まえがき

「自分はニセモノだ。偽善者だ」という思いにとりつかれた私は、73、74年頃から、牧師であることから逃げだすことばかり考えていました。一度は辞表を提出したのに受け入れられなかったので、77年の秋、とうとう長年牧会をしていた教会を逃げだして、一からやり直すことにしたのです。

私はニセ牧師だから、伝道牧会はお休みして、しばらくは自分のために生きてみよう、と思い、妻と二人で朝早く起き、市場へ働きにゆきました。いままであんまりいいかっこばかりしてきたから、こんどはとことん恥をかこう、十年間はひっそり生きてみよう、というのが、いつわりのない気持でした。

なのに、ニセモノの私を主は見捨てられず、家族だけで守るつもりの礼拝が、みるみるふくれあがってゆきました。そればかりか、やっぱり私は伝道者として召されているのだ! という確信を抱かずにはおれないような出来事が次々とおこりました。

一度、牧師としての生命を捨て、辱しめをうける決意をした私に、主は御自身の辱しめをみせて下さいました。それがこの受難週のメッセージです。79年の4月、感動をもって七回連続で語りました。翌80年は「十字架上の七つの言葉」を学びました。それも私の魂の資産としてのこっています。

ここで、私のテープから原稿浄書をして下さいました伊達浩子姉に心より感謝申し上げます。

つたない者の受難週のメッセージをお読み頂いて光栄に存じます。

1981年受難週 植竹 利侑