復刻版
『受難週のキリスト』

第四章 イエスの捕縛とペテロの否認

本書は絶版につき本サイトで復刻したものです。

植竹牧師の「それでもまだ言い足りない」 »

■ 第四章 イエスの捕縛とペテロの否認
<ヨハネによる福音書18章1~27節>
<ルカによる福音書22章54節、60~62節>

昨日は、ゲッセマネの園におけるイエスの祈りについて、詳しく学ばせていただきました。そして、ほんとうの十字架は、カルバリの丘ではなくて、ゲッセマネの園であるということを一番大事な点としてお話申し上げました。

イエスは、これからご自分がつくべき十字架の意味を、ゲッセマネの園において、ほんとうに経験されたのでした。イエスは私たちの罪のために、血の汗を流して祈られたのですが、しかし「私の思いではなく、どうかみこころのままになさって下さい」と、いい切ることができたとき、サタンの攻撃はすべて終り、イエスは毅然として、十字架を負うために立ち上がられたのでした。

さて、祈り終えられたイエスが、三人の弟子を励ましながら園の入口までくると、そこに待たされていた八人の弟子たちは、同じように、寒さと不安と心配とで、ある者は疲れて眠り、ある者はいらいらしながら、イエスの戻ってこられるのをじっと待っていました。自分たちは、ここで見張り役をさせられているのだと、不平不満いっぱいで不気嫌な顔をしている者もありましたが、それでも、イエスが降りてこられるのを見て、彼らは立ち上がってイエスを迎えたのです。

見ると、イエスのみ顔は、なんと、二時間か三時間の間にひどくやつれてしまわれ、弟子たちを驚かせました。しかし、そのやつれられたみ顔の中にも、冒しがたい威厳と、静かな決意が漲って、どんなにか輝くばかりであったろうと思われます。

それに比べて、ぐっすり眠りこんでしまって、イエスに叱られて目を覚ました三人の弟子たちは、きっと、情けないしょぼくれた顔をして降りてきたのではないかと思います。

迎えた弟子たちは「これは何かあったに違いない」と思い、イエスのまわりに集まってまいりました。

その時です。剣を帯び、槍を持ち、武具をつけたローマの兵隊を先頭にして、大祭司カヤパの手下や大勢の群衆たちが、手に手に松明を持って、イエスを捕えるためにやってきたのです。

前にも申し上げたかと思いますが、その当時の祭司たち、宗教家たちの一番恐れていたことは、イエスが暴動を起こしばしないか、ということです。もし暴動を起こされると、為政者である宗教家たちが、責任を問われることになるからです。

しかし、イエスを捕えることは難かしいことでした。人々に慕われ、愛され、喜ばれ、あの日曜日の朝には、何十万という大群衆が歓呼の声で迎えたイエスを捕えて、人々からよく思われていない祭司や大祭司の官邸に、引き連れてきたことがわかったら、それこそ、民衆たちの大暴動が起こると思い、そのためにはなんとかして、過越の祭りの前までに、イエスを秘密のうちに捕えたかったのです。そして闇から闇ヘイエスを葬ってしまおうという魂胆でした。しかし残念ながら、当時、人を死刑にするということは、自分たちの権限ではありませんでしたので、どうしても、ピラト総督の許可が必要だったのです。

そこで彼らは考えました。できるだけ夜中にイエスを捕まえて、正式の裁判をそそくさとすませ、ピラトを脅し上げてでも判決を下させて、夜が明けないうちに、あの強力なローマの軍隊の中へ、イエスを送りこんでしまいたいと思ったのです。

そのころ、七十人の人で作っているサンヘドリンという議会があったのですが、彼らはその前日から何度も寄り集まっては、大祭司カヤパと協議をこらしていたのです。今晩を逃したら、もうチャンスはないぞ、というわけで、彼らは徹夜で相談をしました。

丁度そこへ、最後の晩餐の席上からやってきたユダが顔を出したのです。大祭司たちは、ユダに銀三十枚をつかませた上で尋ねました。

「今晩、イエスはどこにいるだろうか」

「はい、私はよく知っていますから、私の後についてきて下さい」

「そうか、よし、わかった」

たちまち、何百人という数の兵士たち、役人たちが集められ、彼らはイエスを捕縛するために、隊を組んで出発したのです。

イエスがゲッセマネの園に行かれたのは、夜中の十二時前後と思われます。それから、二、三時間を父なる神のみ前で苦しみ祈られ再び園の入口に戻ってこられたときは、すでに午前三時か三時半ごろになっておりました。イエスはそこでおっしゃいました。

「見なさい。私を売る者が近づいてきた」

弟子たちは何が何やらさっぱりわからず当惑していると、そのうちにもう、園のむこうには、松明をかざした兵隊たちの姿が見え始めたのでした。

こうして、イエスが捕縛されたのは、三時半から四時の間です。そのまま彼は、アンナスの所へ連れていかれ、続いてカヤパの宮廷へとまわされました。そこでは、大急ぎで招集された議員たちが、緊急会議を開いた結果、判決が下ったのは六時ごろで、それからピラトの所へと引き立てられて行ったのが、多分七時ごろではなかったかと考えられます。

ピラトは、裁判をするのがいやだったものですから、イエスがガラリヤ人であることを聞くと、ヘロデ王の所へ彼を送ったのです。それがまたピラトのもとへ送り返され、本格的な裁判のはじまったのが七時半。いよいよ判決が下され、イエスはむち打たれ、いばらの冠をかぶせられて刑場まで連れて行かれたのが九時です。

ですから、厳密にいいますと、この日イエスは、夜の間にアンナスのところへ行き、力ヤパのところへ行き、非公式な裁判を受け、公式の裁判を受け、それからピラトのところへ行って、ヘロデのところへ行って、もう一度ピラトのところへ返されて、いよいよ死刑の判決を受けるまでに、なんと、一晩の間に六回も裁判を受けていることになります。しかもその間、残酷なむち打ちの刑を受け、いばらの冠をかぶせられ、兵隊たちから小突かれ嘲弄され、散々、引きずりまわされたのでした。

前の晩、血の汗を流されるほどに苦しみ抜かれて祈られたイエスにとって、それは、どれほど苛酷きわまりない数時間であったかということがわかります。ですからイエスは、最後には、十字架が重くて、かつぎきることができず、倒れてしまわれたと記されているほどです。

そういうわけで、もう一度、ヨハネによる福音書18章に目をとおして見ますと、イエスを捕えるために、ユダとともに千卒長がここにきているのですね。千卒長といいましたら千人の頭です。兵隊の数こそわずか五十人か、せいぜい百人前後と少なくはありましたけれど、よっぽど重大な任務として、指揮官には千卒長を遣わしていることがわかります。

ユダはあらかじめ、イエスを捕えるときの合図の方法を決めていました。

「『ラビ、安かれ』といって、私が口づけする人がイエスだから、間違いなくその男を捕まえてくれ」

といってあったのです。

ユダの役割りは、イエスが秘密の隠れ家をどこに持っているか、ということを教えるだけで、充分値打ちがあったのです。寝込みを襲ってでも、イエスを今晩のうちに逮捕し、なんとかして一党を追い散らしてしまおうと、議員たちは前の日からアンナスの官邸に詰めっきりで、相談し合っていたのでした。

アンナスという人は、その十何年か前に、現役の祭司は終っていたのですが(現役の祭司カヤパはアンナスの娘婿です)しかし、絶対的権力は、依然としてアンナスが握っていたのです。

そのようなわけで、議員たちは、ふだん、非公式に集まるときは、いつもアンナスの邸に集まっていたのでした。その隣の邸宅にカヤパは住んでいたのです。だから、イエスを捕える兵士たちも、アンナスの邸宅から派遣されたと思ってよいのです。

ユダは彼らを案内して、イエスのそばに寄って行きました。

「先生、平安ですか」

そういって彼は、イエスに口づけをしたと書いてあります。愛の口づけを利用して主を捕えさせようという、なんというそらぞらしい、卑劣な、恥知らずの男でありましょう。

まさに地獄の口がユダの口から開けている、といってもいいほど、彼は平然としてイエスを売りました。

しかし、イエスはそのユダに対してさえ「友よ」と呼びかけておられるのです。

<友よ、なんのためにきたのですか>(マタイ26:50)

さて、ヨハネによる福音書18章の3節以下をご覧下さい。

<ユダは、一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた。しかしイエスは、自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らに言われた「だれを捜しているのか」彼らは「ナザレのイエスを」と答えた。イエスは彼らに言われた、「わたしが、それである。」>(ヨハネ18:3~6)

6節の「わたしが、それである」、これはギリシャ語で「エゴ・エイミ」という有名な言葉です。我はそれなり。今までイエスは、この言葉を何遍もおっしゃいました。

あのゲネサレの湖畔が大揺れに揺れて、真夜中に大嵐となったとき、弟子たちは船を漕ぎ悩んでおりました。マタイによる福音書の14章には、そのときイエスが波の上を歩いてこられ、それを見た弟子たちは、幽霊だといって、恐怖のあまり叫び声を上げた、とあります。まるで、イエスのみ体は夜光塗料のように光り輝いて、暗闇の中に、ぼうっと浮かんで見えたのです。恐れ叫ぶ弟子たちに、イエスは「私だ。私である」とおっしゃいました。この言葉が「エゴ・エイミ」です。

皆さんがもし、注意深く聖書をひもとかれるなら、おわかりでしょうが、神がご自身の名前を紹介している箇所があります。それは、一番有名なところですが、出エジプト記3章に<我は有りて在る者>であるとおっしゃっています。これを、ギリシャ語に直すと「エゴ・エイミ」になるのです。「エゴ」とはエゴイズムの「エゴ」で「私」ということで、「エイミ」とは「それである」ということです。「有りて在る者」すなわち、これは神の名前です。

人間は「有らしめられて在る者」で、自分で存在しているのではないのです。けれども神は「私こそ、永遠の初めから存在しているものである」という意味が「エゴ・エイミ」なのです。

さて、イエスはこのとき、ご自分のことを「私が、それである」といわれました。すると、どうしたわけでしょうか。

<イエスが彼らに「わたしが、それである」と言われたとき、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた。>(ヨハネ18:6)と書いてあります。

イエスが名乗られただけで、ユダをはじめ兵隊たちは思わずたじろぎ、前の方にいてイエスと話合っていた数名は、この瞬間、はじかれたようにとびすさって倒れてしまったのでした。

昨夜、ご一緒に学んだことですが、十字架の序曲ともいうべき、ゲッセマネの園における主のみ苦しみ、しかし、それにただお一人で打ち勝たれ「これが父なる神のみこころなら、愛する弟子たちのためにも私はこの苦き杯を飲み干そう」と決意なされたとき、イエスのみ顔には、何者も冒すことのできない神の臨在の輝きが、凛然とあふれておられたことと思われます。人々はイエスの威光に打たれて倒れてしまったのです。この受け答えをしたのは千卒長のようですね。千卒長といえば、日本でいえば大隊長に当るのでしょうか。私は、このときのイエスの、勝利の気迫というものをここに読みとるのでございます。

やがて、世の終りのラッパが鳴り響くとき、<見よ、小羊シオンの山に立ち給う>とヨハネは黙示録に書いておりますが、パトモスの島でヨハネが見たイエスのみ顔は、強く照り輝く太陽のようであったとあります。私は、この捕縛のときも、イエスの輝きの本質が、期せずして、敵対する人々の目には見えたのだろうと思うのです。

また、ユダがそばにやってきて「ラビ、安かれ」そういって接吻したとき、イエスはどうされたのかといいますと、自ら進み出て「誰を捜しているのか」と聞かれ、彼らがイエスを捕まえ損なって地に倒れるや、再び「誰を捜しているのか」とお尋ねになったのです。わかりやすくいうならば、

「しっかりしなさい。お前たちは一体何をしにきたのか。私を捕まえるためにきたのではないのか」

そういって、イエスはむしろ、捕縛されることを催促しておられるかのようです。捕えにきた者の方がおどおどして「ナザレのイエスを」などと答えています。

「だから、私がそれであるといっているのではないか。私を捜しているならぐずぐずせずに早く捕縛するがいい」

手を差し出し、そうおっしゃったのです。

そのとき、ことのなりゆきを見ていた弟子の一人が

<主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか>(ルカ22:49)

といったところが、ペテロはイエスの許しもまたず、一番最初にイエスに手を出してきた男を、頭から真二つにしようと思って「やあっ」とばかり、刀をふり上げて切りつけたのでした。ところが、残念なことに彼は手元が狂って、大祭司の僕の右の耳を切り落したにとどまったのです。

<シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった>(ヨハネ18:10)

やはりペテロは、兵士ではなく漁師でした。刀は使い慣れていなかったのでしょう。思いっきりやったつもりですが、切っ先がどうにかマルコスの耳に届き、右の耳がスポッと落ちた、というのです。おかげで命拾いをしたものの、ペテロは、イエスがとめる暇もなく切りかかったので、僕は思わず「ひやあっ」といって耳を抑えてうずくまり、一瞬兵士たちも緊張し「やるかっ」と身構え、抜刀を持ち直してペテロに切りかかろうとしたそのとき、イエスは前に出ていわれたのです。

「待ちなさい。あなたの剣をさやに納めなさい。剣を持って立つ者は、剣によって滅びるのです」

皆さん、これは実にすごい言葉ですね。聖書の中には、あまりに素晴しい言葉が多いので、すらすら読んでいては見過してしまいますが、どうかこの一句だけを取り上げて、よく考えてみて下さい。

<あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる>(マタイ26:52)

そういってイエスは、今落ちたマルコスの耳を拾い上げ、瞬間的に彼の耳をつけ「これにて許せ」とおっしゃり、いやされたのです。なんという素晴らしいことでしょうか。全く跡形もなく治って、切られた本人もまるで嘘のように思える始末です。だからそれ以上、耳のことでは何も追求してはいないのです。しかも、イエスのその気迫に押された兵士たちは、ペテロにも、他の弟子たちにも、もうなんの手出しもできなくなったのです。

こうして弟子たちは「いま奇跡が起きるか、いま奇跡が起きるか」と、いよいよ期待を大きくしておりました。

列王記下の1章を見ますと、エリヤという預言者を捕えようとしたときのことが書かれています。

時の王であるアハジヤが、五十人の長をその部下五十人と共に、エリヤを捕えるために派遣したところ、全員が天から降ってきた火に即座に焼き殺されてしまったというのです。しかも、同じことが二週も続き、三遍目の隊長は、非常に恐れて、しかし、王様が行けというから仕方なしに行ったのですが、エリヤの前に出るなり、ひれ伏して、

「どうかお願いですから、私たちを滅ぼさないで下さい」と懇願したことが記されています。おそらく、このような旧約の物語を、ペテロやヨハネたちはよく知っていたはずです。

また、その弟子であったエリシャという預言者についても、同じようなことが書かれています。

ある朝、エリシャの僕のゲハジが目を覚まして外に出て見ると、なんと、エリシャを捕えるためにスリヤの大軍が押し寄せ、馬と戦車ですっかり町は包囲され、エリシャの住んでいるちっぽけな小屋のまわりも兵隊がびっしり取り巻いていて、蟻の這い出るすき間もありません。

「先生、大変です!スリヤの軍勢が押し寄せてきました」

「ゲハジよ、落ち着くのだ、お前はこんなスリヤの軍隊よりも、私たちを守っていて下さるお方の数の方が少ないとでも思っているのか。さあ、見せてやろう」

エリシャが、ゲハジの目の開かれることを祈るや、ゲハジの目には、スリヤの軍隊よりも、もっともっと数多くの天の軍勢が、びっしりと山に満ちてエリシャを守っていることに気づいたのです。エリシャが再び祈ると、スリヤの大軍は皆、目が見えなくなってしまったのです。エリシャはなかなかユーモアのある人で、

「皆さん、よくおいで下さいました。目が見えなくてご不自由でございましょう。私が皆さんの捜している人のところへご案内いたしましょう」

彼は、兵隊たちを皆引き連れ、自分の国の王様の所へ行ったのです。エリシャが祈ると、兵隊たちの目は開かれましたが、しかし、気づいたときはすでに遅く、敵の真中にいる自分たちを発見してうろたえるばかりでした。

「この連中をどうしましょう。殺してしまいましょうか」

「いや、殺してはいけない。彼らにパンと水を与えて充分にもてなし、丁重にお送りしなさい」

エリシャの指示のとおり、パンと水とを与えられ、充分にもてなしを受けて帰ったこのスリヤの軍隊は、二度と再びイスラエルの国を侵略することはなかった、と書いてあります。

ペテロたちは、今、このようなことの起こるのを期待していたのだと思います。何か不思議なことが、エリヤのときにも、エリシャのときにも起きたのだから、神の子ともあろうイエスが、ここで、みすみす捕縛されることなどあろうはずがない、と思っていたのです。それなのに、イエスはご自分から、

「さあ、私を捕縛しなさい」

といって手を差しのべたのです。そして、

「ただし、他の者は、過ぎ去らせてあげて下さい」

といわれ、血気にはやるペテロにむかっては、

「剣をさやに納めなさい。剣を持って立つ者は、剣によって滅びるのです」

とおっしゃったその言葉、その気迫、その凛然たるイエスの威厳に、ペテロたちをはじめとして、捕まえにきた兵隊たちまでもが、圧倒されてしまい、誰も、それ以上ペテロを深追いする者もなければ、剣をとって切りかかる者もなく、そのままイエスを捕縛して連れて行ってしまったのです。このとき、弟子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまったのでした。

ルカによる福音書には<ペテロは遠くからついて行った>と書いてあります。しかし、ヨハネによる福音書を見ますと、どういうわけか<ペテロともうひとりの弟子とが、イエスについて行った>と書いてあるのです。どちらがほんとうなのでしょうね。しかし、この″もうひとりの弟子″とはヨハネ自身のことでしょうから、一旦は逃げ出したもののまた戻ってきて、ペテロとヨハネは遠くからある距離をおいてついて行ったものと思われます。

兵隊たちは、イエスをついに捕まえたという、ことの重大さと厳粛さに興奮し、その反面、こんなに簡単に捕まえられるとは夢にも思っていなかったので、役目を終えた安堵感とで我を忘れ、弟子たちを追うこともせずに引き上げて行ったのです。

ここで、マルコによる福音書を見ますと、弟子たちが皆イエスを見捨てて逃げ去ってしまったという箇所に、一人の若者が登場します。それはマルコ自身であるといわれています。昨日も申し上げましたように、ゲッセマネの園は、マルコの母親の持ちものでありました。まだ若いマルコは、その中にある小さな部屋で寝ていたのですが、突然、辺りが騒がしくなり、兵隊たちの声や靴音が入り乱れ、松明がちらちらしたりして、ふっと目が覚めたのです。彼はびっくりして、亜麻布・・・たぶんシーツのことでしょう・・・をかぶって外に出てみました。

するとそこには、思いがけない光景が繰り広げられており、マルコはイエスを愛していましたから、これは大変だと思い、亜麻布で体を包むと、木の間隠れにその逮捕劇をつぶさに見ていたのです。すると、イエスの弟子たちが皆、慌てて逃げ出したものですから、彼も思わず逃げ出そうとしたところを、丁度その辺りに配置されていた兵隊にひょいと捕まえられてしまったのです。しかし彼は、それを夢中でふり切って裸で逃げ出し、兵隊たちの手には亜麻布だけが残った、というエピソードが記されています。これは明らかに著者自身のことです。そんなこと自分以外にはわからないことですからね。

さて、剣を持って立つ者は剣によって滅びるといわれたイエスのみ言葉はまことに真理です。かつて「力によらず権勢によらず勢いによらず、私の霊によるのだ」とイエスはおっしゃいましたが、今までの歴史をふり返ってみますと、必らず、剣によって建った王国は、剣によって滅んでいます。

イエスは、<わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか>(マタイ26:53~54)

そういって、自ら捕縛されたのでした。

ペテロは、大言壮語していた手前、何かせずにはおられなくて刀を抜いたのだと思います。ペテロは臆病者だといわれますが、私は決してそうは思いません。彼は、燃ゆるが如き赤心と忠節の心をもって、イエスのために命を賭け、一人で何十人という兵隊をむこうにまわし、討ち死することは必定とわかっているのに、たとえ、自分は殺されても盾となって、わずか何分でも何秒でもイエスを逃れさせたい、という思いから刀を抜いたのです。

でも、それは間違いであり、迷惑でした。そんなことをすれば、ペテロはたちまち切り伏せられてしまい、悲惨な目に会わされるでしょう。そこでイエスは、兵士の耳をいやし、ゆるしを乞うて、弟子たちを皆、逃がしてあげたのです。ほんとうに、イエスというお方はどういうお方なのでしょうか。

さらにイエスは、

「どうして私を捕まえるのに、このように剣や棒を持って、まるで強盗にむかうように大勢の兵隊を連れてきたのか。私を捕まえようとしたらいつでも捕まえられるのに」

といわれ、マタイによる福音書の方には、

「しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」といわれたと書かれてあります。

弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げ去ってしまいました。このときの弟子たちをたとえるなら、丁度、羊飼いが狼に襲われ、あとに残された羊たちが、慌てふためいて闇雲に逃げまわるように、柵を乗り越え、谷に落ち、川にはまり、こけつまろびつ傷だらけになって、逃げて行ったことだろうと思われるのです。

ひとたび、臆病風が吹くと、彼らはとどまることができなかったに違いありません。

兵隊たちは、あまり簡単にイエスが捕まったものですから、拍子抜けがしてしまい、むしろイエスの威厳に圧倒されて、そこでは何もイエスに乱暴を働くことはありませんでした。彼らはまた、ペテロを捕えようともしなかったのです。今は、ユダと兵隊だけがイエスのそばに残り、イエスは堅く「縛り上げられた」と書いてあります。兵隊たちはそれが任務ですから、高手小手に、ぎりぎりと縛り上げて凱旋して行ったのでございます。

かつては、愛ゆえに、ライ病人に差しのべられたその手が、貧しい人々にパンを施されたその手が、どんな人間をも救うことのできたそのイエスの手が、今私たちの罪のために縛り上げられているのでございます。私たちの罪がイエスを縛り上げるのです。イエスを縛るものは人間の″不信仰″です。信じない、従わない罪が、イエスを働かさなくなったということが、聖書の中に何回か書かれています。

イエスは、自由人としてゲッセマネの園に人っていらっしゃいましたが、今は縛られた者としてこの園を去ろうとしています。だがほんとうは、イエスは、できることならこの苦き杯から逃れたいという思いに縛られて、この園に人ってこられたのでした。しかし今や全く解き放たれて、

「父が、私に与え給うた杯は、どうして飲まずにおられようか」

と、驚くべき自由人として、イエスは縛られて行かれたのです。私たちは、そのイエスの毅然としたみ姿の中に、多くの真理を見るのでございます。

やがて、たいした距離ではないと思うのですが・・・歩いて十五分ぐらいのところでしょうか・・・アンナスの邸宅に着きました。

アンナスというのは、年を取ったずるい男で、娘婿は大祭司をしています。彼は今、いらいら、いらいらして、

「だいぶ前に行ったのに、まだ帰らない。何かへまをやったのではないか。あるいはイエスが魔法でも使って奇跡を起こし、何かひどいことをやらかしているのではないか。弟子たちと兵隊たちが、斬り結んで面倒なことになっているのではないか。ユダのやつが途中で心変わりでもしたのではないか。とにかく、イエスは捕まったのか逃げたのか、一体どうなったのか」

アンナスとカヤパは、互いに出たり入ったり落ち着きなく、うろうろしていたのです。

が、やがて、はるか彼方から足音が聞こえ、ちらちら松明の光が見えはじめました。

「おお、帰ってきた、帰ってきた」

彼は思わず門を出て、一隊の近づくのを待ちました。

「おお、どうだったか、イエスはどうしたか」

「はいっ。たしかに捕まえました」

その返事を聞いた途端、彼はへなへなとなってしまうほど安堵したのです。

やがて捕縛されたイエスが人ってきました。アンナスは、きっと興味津々で、捕まったイエスの顔はどんな顔か見てやろう、と思ったことでしょう。彼は先刻の捕縛劇を見ておりませんから、イエスのそのときの権威ある態度を知りません。檻に捕えられた猛獣を、安全なところから眺めるのは興味があります。あたかもそのような気持で、彼は捕えられたイエスを見たのでした。

しかし、イエスはふだんと全く変わらず、威厳と柔和さをたたえ、縛られたままで堂々と歩いてこられたのでした。あの縄のむちを作って、商売人の台を引っ繰り返したときのイエスの姿と、少しも変わらない威風があたりを払っていました。祭司たちは、イエスを見たとき、ほんとうに恐れたと思うのです。ゲッセマネの園において心を決められたイエスは、今このようにして彼らの前に立たれたのです。

早速、尋問がはじまりました。アンナスは先ず、イエスを中庭の一番奥に連れて行き、「お前の教えとは何か。弟子たちの数はどれくらいか、さあ言えっ」

イエスがあまりにも毅然としているので、アンナスはつい気遅れがしてしまうので、反対に胸を張ってそういったのです。これは、イエスのいうことを聞く連中がどれくらいいるかを調べることで、暴動の起こる危険がどれくらいあるかがわかり、それが彼らの一番の関心事だったからです。するとイエスは、

「私の教えをなんで聞こうとするのか。私は今まで、どこででも教えてきた。そのようなことが聞きたかったら、誰にでも聞いてみるがよい」

まるで、ご自分が裁判官のような威厳をもって答えているのです。

「それが、大祭司様に対していう言葉か!」

下役の一人が、叫びざまにイエスの顔を平手でたたいたと書かれてあります。

「もし私が間違っているなら、その証拠を示しなさい。おまえは、私が正しいことをいっているのに、なぜ打つのか」

イエスは厳重に抗議しました。このように、どちらが裁いているのかわからないほど、イエスは権威ある態度で臨まれたのでした。

丁度そのころ、議員たちを招集する伝令が四方八方にとばされ、午前六時には開会するから必ずくるようにと、伝えられていました。時刻はまだ午前四時か四時半ごろです。中でも腹心の者たちには、六時といわず今すぐにも集まるようにとの指令が届けられたのでした。なぜならば、七十人議会と呼ばれる、このサンヘドリンの議員の中には、アリマタヤのヨセフや、ニコデモや、あるいはイエスの教えを聞いてイエスに心を寄せる者が、かなりの数、いたからです。

アンナス及びカヤパは、本心ではそういう連中を召集せずにすませたかったことでしょう。腹心の者が過半数いればよいのですから。とにかく、ごく短い時間で裁判をするために、彼らは、イエスをカヤパの官邸に連れて行き、そこで正式な裁判が行われたのです。

そうこうしているとき、見え隠れにあとをつけてきたペテロとヨハネがやってきました。ヨハネは大祭司と顔見知りであったため・・・ヨハネの母は、経済的にも相当の実力者であったので・・・彼はフリーパスで「やあ、やあ」と入っていったのですが、ペテロの方は、女性の門番に入れてもらえず、外に待っていたのです。ヨハネの福音書を見ると、そのように書いてありますね。それでヨハネは一度中に入ったのですが、ペテロが見えないので再び戻り、友達だということで、今度は二人して入ってきたのです。

ヨハネは、それから更に奥深く進み、裁判の進行の状況を見きわめるために、柱の陰からじっと見ていました。当時の邸宅はたいてい門は一つです。韓国もそうですが、庭を真中にして周囲に家が建っているのです。その中庭の奥でイエスの裁判は行われているのです。そして、入口近いところでは、さっきイエスを捕えに行った兵士たちや、その僕たちが、任務を終えてホッと一息ついて、たき火にあたっていたのです。そこヘペテロはそっと入りこんで、いかにも仲間の一人であるかのような顔で、自分も火にあたっていました。

そのとき、門番の女が、たき火にあたって炎に顔を照らされたペテロを見て、

「あっ、あの男はイエスの弟子ではないだろうか」

といい出したのです。

「いや、私は違う」

ペテロはとっさに叫びました。彼は、皆の前で急に仮面をはがされたように、当惑し、思わず「ノー」と答えてしまったのです。悲しいことに人間は、とっさのときに罪を犯すのです。とっさのとき、人間は自分が何をするかわからないのです。ペテロは、そのとっさのときに、実に悲しいことに、主イエスを否定してしまったのです。

この物語をよく読んでみればわかりますが、イエスの弟子であることは、別にマイナスではありません。大丈夫だったのです。ヨハネは、自分が弟子であることを隠してはいません。また、いよいよペテロの身分がわかったときも、彼は危害を加えられてはおりません。兵隊たちは、イエスだけを捕まえればよいのであって、弟子たちを捕まえるということは、任務の中になかったのです。また関心もなかったのです。それなのにペテロは「私は違う」といってしまったのです。

もち論、彼にはマルコスの耳を切り落してしまったという、うしろめたさもあったかもしれません。しかし、こののちも全部で三度、ペテロは「ノー」といったのです。

彼は、門番の女に指摘されたので居づらくなり、一旦はそこを離れたのですが「ノー」といった手前、外に出ることもできず、また戻ってきてたき火にあたっているとき、今度はそこにいる人々から質問され、再び「ノー」と答え、ついに三度目には、耳を切り落されたマルコスの親戚の者から、

「私は、お前を園で見た。お前はマルコスの耳を切り落した男ではないか」

といわれてしまいました。しかもなお、彼らは、ペテロに危害を加えようとはしていないにもかかわらず、ペテロは「断じて違う」と否定したのでした。

一度拒んでしまった彼は、それを貫きとおすために、最後には激しく誓ったのです。″誓う″ということは″アナサマ″といい、それは″呪い″の意味で、呪いが私にあってもよい、ということです。

「呪われてもよい。私は違う」

彼は幾度も、幾度も「私は違う」「私はイエスを知らない」「私はあなたのいっていることがわからない」と、拒み続けたのです。

「でも、お前の話している言葉は、ガリラヤ弁ではないか、言葉からしてイエスと同じではないか」

彼は、そういわれると、ますますいきりたって「違う、違う」と、イエスを否定するのに躍起でした。かつては、

「あなたこそ、生ける神の子キリストです」

と、告白したペテロが、今、

「呪われてもいい、私はイエスを知らない」

と否認しているのです。

皆さん、この世の偉い人々、例えばアンナス、カヤパのような連中は、いつか必ず、イエスをほんとうに心からお迎えするか、徹底的に否定するかのどちらかでないと、いられなくなるのです。特に政治家はそうです。責任者がそうです。私たちクリスチャンの信仰生涯でもそうですよ。いつか徹底的にイエスの前に頭を垂れ、真理を受け人れて清めを受けるか、あるいは、イエスを亡き者にしてしまおうとするか、どちらかになります。

残念ですが、クリスチャンにも必ずそれが、いつかはきます。清められるか、信仰を捨てるかのどっちかです。

私は今日、ある人とお話をしました。その人は、イエスを受け入れる決心をして帰りましたが、私はその人に申しました。

「あなたは、そんなに大げさな決心をしなくともいいのです。洗礼を受けるときに、そんなに悲壮なことを考えなくとも結構です『ああ、もらえるんだったら、もらっておきましょう。ありがとう』といって、もらっておけばいいのです。

ただし、一つだけお願いしたいことがあります。イエスを受け入れてクリスチャンになったら、今まで気にならないことが、気になるようになります。今までは平気でいたことが『あっ、これは悪いことだった』とか『あっ、またまた罪を犯してしまった』とか、気がつくようになります。気がついたからやめられるかというと、そう簡単にやめられるものではありません。これからも、何遍も罪を犯すでしょう。

だが、大事なことは、洗礼を受けられた人の大きな特徴は″気になる″ということです。どうか気にして下さい、自分の罪を。

『あっ、またやってしまった、主よ、すみません。』とね。

献身して、神学校に行き、命がけで取り組んでいる人でも、半年や一年はかかるのですから、普通のクリスチャン生活においては、三年も五年も十年もかかるかもしれませんが、命がけで従うか、あるいはやめにするか、二者択一を迫られるときがあるのです。そして、『ああ、神様、あなたに信じ従います。どうか私の自我を殺して下さい。私は十字架につきます』と、いうときがくるのです」。 皆さん、ペテロにとって、それがこのときでした。

人間は誰でも、クリスチャンになった限り、いつかそのような選択を迫られるときがくることを、覚悟してください。しかし、もし失敗しても、それだからといってイエスはお見捨てにはなりません。むしろ自分の弱さを知り、ほんとうにへりくだれば、そのときこそ、私たちを清めてくださるときがくるのです。